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【評伝 船村徹さん】昭和の心演歌に刻み 最後まで現役貫く

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【評伝 船村徹さん】
昭和の心演歌に刻み 最後まで現役貫く

船村徹さん=東京都千代田区=東京都千代田区(伴龍二撮影) 船村徹さん=東京都千代田区=東京都千代田区(伴龍二撮影)

 昭和の歌謡史を彩る数々の名曲を生み出した作曲家の船村徹さんが16日、世を去った。

 「演歌、歌謡曲は日本人の血液であり、どんな時代も変わらない」。平成20年に文化功労者に選ばれた際に語った言葉は、その生き方を象徴している。

 歌謡曲の道に進むことになったのは、船村さんが作曲した「別れの一本杉」の作詞者で、東洋音楽学校(現東京音大)で出会った亡き親友、高野公男さんの存在がある。

 敗戦の4年後、学生だった船村さんは米兵相手にジャズピアノ弾きのアルバイトをしていたとき、高野さんに言われた。「米国かぶれじゃだめだ。ベートーベンとかシューベルトとか何百年前のもだめ。日本の民衆のための歌をつくるんだ」

 「金づちで脳天を殴られたくらいのショックを受けた」。以降、日本語を大事に、全力で曲作りに取り組んできた。

 昨年、作曲家としては山田耕筰以来という文化勲章を受章。周囲が「歌謡曲の文化的評価はあまり高くなかったが、受章は風穴を開けてくれた」と盛り上がる中、「勲章は先輩方の忘れ物。拾って、あちらに届けるために預かっただけ」と謙虚に語った。

 親分肌で面倒見が良く、鳥羽一郎さんらを内弟子として自宅に住み込ませ、育てた。昨年も村木弾さんを最後の内弟子としてデビューさせている。当時取材すると、「(村木さんは)北島(三郎)や鳥羽ほどの悪ではなさそうなので良いかな」とユーモアを交えて語っていた。

 昨年5月に心臓の手術を受け、同年9月にステージ復帰を果たしたばかり。1月下旬には作曲した伍代夏子さんの「肱川あらし」がリリースされた。戦後の歌謡界をリードした大御所が現役のまま旅立った。(竹中文)

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