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【平成30年史 デフレの呪縛(4)】戦犯扱い、日銀のトラウマ 実体ないインフレにおびえ 物価「2%」の壁…反リフレ派台頭も

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【平成30年史 デフレの呪縛(4)】
戦犯扱い、日銀のトラウマ 実体ないインフレにおびえ 物価「2%」の壁…反リフレ派台頭も

 10年施行の新日銀法は金融政策の政府からの独立性を明記している。政策運営が政治的な思惑でゆがめられないようにするためだ。ただ、当時の民主党政権が日銀への緩和圧力を強めていたのにも理由はある。

 23年3月11日の東日本大震災後、円高が急激に進行して8月には1ドル=75円台をつけた。原発事故に伴う電気料金の高騰や高い法人税実効税率も重なり、日本経済が抱える問題は「六重苦」とも「七重苦」とも呼ばれた。

 それでも当時の日銀総裁、白川方明(まさあき)は「物価安定の望ましい姿の実現には(日本経済の)成長力強化も不可欠だ」と繰り返し、小出しの緩和策に終始した。「不作為」とも映る政策運営は後に円高・デフレの深刻化を招いたとのそしりを受けることになる。

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 白川がこだわったのは中長期的な視点を踏まえた政策運営の判断に関する「中央銀行の物差し」。これは、白川が「慈父のような存在」と慕っていた26代総裁の故・三重野康が常々、口にしていた言葉だ。「世の中には当然ながら多くの物差しがある。中央銀行には中央銀行の物差しがあって、他の物差しとギャップを生じる」。三重野は随想録にこう記し、他の物差しに安易に妥協することを戒めている。

 三重野はバブル経済がピークに達した元年12月に総裁に就任した。バブル退治に執念を燃やし、「平成の鬼平」との異名を取った。だが、急速な金融引き締め策は結果的に「失われた20年」といわれる長期のデフレ不況を招いてしまう。

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