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【平成30年史 JRの歩んだ道編(3)】分割めぐる激しい対立 印刷所 盗み見た守旧派文書

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【平成30年史 JRの歩んだ道編(3)】
分割めぐる激しい対立 印刷所 盗み見た守旧派文書

国鉄分割民営化とJR発足後の経過 国鉄分割民営化とJR発足後の経過

 国鉄改革を進める経営計画室の総括補佐だった夏目誠(69)=現成田国際空港会社社長=が、現在は「丸の内オアゾ」になっている東京・丸の内の旧国鉄本社ビルの4階会議室にひそかに呼び出されたのは、その年の5月末だった。

 「来たな」

 覚悟を決めて席を立った。会議室に入ると机の上には2枚の「決起趣意書」が置かれていた。既に同志数人の署名と押印があった。後に「改革派20人の連判状」として知られる文書だった。

 経営計画室は当時、改革派の拠点とみられていた。だが、経営トップは「民営化はよいが分割はダメだ」と考えており、同室筆頭主幹で、後に「改革三人組」の一人としてJR東日本の社長となる松田昌士は北海道に飛ばされていた。改革派は窮地に追い込まれていた。

 夏目にはおおむね内容が分かっていた。国鉄には分割民営化を伴う抜本改革が求められ、そのためには経営陣の刷新が必要だった。経営陣の総退陣を求める捨て身の連判状。いわば「クーデター」だった。失敗すれば全員が職を追われることを意味していた。当時、37歳。守るべき家族もいたが迷うことなく一気にサインした。

 「いま考えると恐ろしいことだが、当時はこの道でしか鉄道の未来は描けないと信じていた。悲愴(ひそう)感はなかった」

 連判状は、再建監理委員長の亀井正夫に手渡された。亀井は意をくんだものの受け取りは丁重に断ったという。だが、いよいよ時の首相、中曽根康弘に提出し、マスコミに公表しようという直前の6月24日、当時の国鉄総裁、仁杉巌以下経営陣が事実上更迭された。中曽根の決断。以降、国鉄は分割民営化へ一気にかじを切ることになる。

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