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【平成30年史 JRの歩んだ道編(1)】国鉄時代、過酷な労使交渉 異動介入「断ると将来ないよ」

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【平成30年史 JRの歩んだ道編(1)】
国鉄時代、過酷な労使交渉 異動介入「断ると将来ないよ」

午前0時、JRが誕生した瞬間、駅員はそっと腕時計に視線を落とした=昭和62年4月1日、大阪駅 午前0時、JRが誕生した瞬間、駅員はそっと腕時計に視線を落とした=昭和62年4月1日、大阪駅

 建前は無記名投票だが、「賛成か反対か、ばれてしまう」。国鉄時代の激しい労使交渉を知らない「JR世代」の男性組合員は、労組から感じる圧力に表情を曇らせた。

「客は二の次」苦い記憶

 国鉄時代を知る古参のJR職員にとって「ストライキ」という言葉はトラウマでもある。公社職員である国鉄職員にはスト権が与えられていなかったにもかかわらず、ストが乱発された。スト権を獲得するため昭和50年11月に行われた「スト権スト」が国民の反発を招き、国鉄解体を早めたとされるからだ。

 ある国鉄マンは、厳しい交渉の末、ストライキが終結したときの光景を思い出す。

 妥結で一息つく間もなく、管理職の部屋には組合員十数人が詰めかけてきた。用件は運転再開に向けて編成される「回復ダイヤ」で、どの列車から運行するかだ。

 一団は口々に自分の組合に所属する運転士が早く勤務を終えられるシフトを要求した。「調整がついた」と引き揚げると、今度は別の組合員数十人が青筋を立てて、どっと押しかける。「あの組合と取引しただろう」。複数の組合との交渉が繰り返され、運転再開はは2、3時間遅れる。乗客は待たされるばかりだった。

 「現場の荒廃はひどかった。利用客は二の次だった」

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