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【クルマの未来 ホンダ 米国の挑戦(上)】世界6極体制…創業期からの理念が、いま揺らいでいる

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【クルマの未来 ホンダ 米国の挑戦(上)】
世界6極体制…創業期からの理念が、いま揺らいでいる

ホンダが日系メーカーで初めて米国生産した「アコード」のラインオフ式で第1号車を披露し、挨拶する2代目社長の河島喜好=1982年11月1日、米オハイオ州メアリズビル (同社提供) ホンダが日系メーカーで初めて米国生産した「アコード」のラインオフ式で第1号車を披露し、挨拶する2代目社長の河島喜好=1982年11月1日、米オハイオ州メアリズビル (同社提供)

 1989年10月、米オハイオ州メアリズビル。州都コロンバス郊外の小さな町にあるホンダの工場を、創業者の本田宗一郎=当時(82)=が訪れた。約37万平方メートルの広大な敷地を妻、さちとカートを乗り降りしてまわり、「どうも、どうも」と言いながら笑顔で従業員に近づき握手を求めた。

 宗一郎があちこち動き回るため、視察は遅れ気味だった。さちは途中から、身長約160センチの小柄な宗一郎のズボンのポケットをつかみ、離さなかったという。視察に付き添った工場の現上級副社長、トム・シュープ(56)は「周囲を引き付ける磁石のような人だった」と振り返る。

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 78年に設立した同工場は、創業期から世界を見据えた宗一郎の「思い」の象徴だ。70年代に起きた2度の石油危機で、米国ではホンダの小型車「シビック」など燃費の良い日本車の人気が一気に高まり、輸出が急増した。

 日本車の市場進出に、米大手ゼネラル・モーターズ(GM)などビッグ3は反発。貿易摩擦が激しさを増す中、ホンダは82年に同工場でセダン「アコード」の生産を開始して日系メーカーで初めて乗用車の現地生産に踏み切った。

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