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【東京特派員】江戸の粋、祇園の雅を見た 湯浅博

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【東京特派員】
江戸の粋、祇園の雅を見た 湯浅博

 小粋な芸者衆が、自己紹介を兼ねて客にくばる紙札を「花名刺」という。図柄は一般的に、縁起のよい松竹梅を背景にして、手前に粋な源氏名が印刷されている。ところが、新橋芸者の小福さんの花名刺は一風変わっていた。

 冠雪の富士山の上に「新橋山岳部」とあり、右下に「新ばし 小福」と控えめに印字されていた。花柳界を代表する新橋芸者が「ゲイシャガール」どころか「ヤマガール」だったとは驚く。聞けば、芸者衆からなる少人数の登山愛好家の集まりらしい。時代は微妙に変化を遂げていた。

 小福さんとの遭遇は、日比谷の帝国ホテルで開催された祇園芸者との共演「東西おどり」を見る機会に恵まれたおかげであった。年に1度、東西を代表する伝統のお座敷芸が、いちどきに見られるのだから、凡夫にとってこれほどの贅沢(ぜいたく)はない。

 これまでにも、花街とのつきあいがなかったわけではない。20代の駆け出し記者として赴任した木更津には、上総地方の中心地らしく80人もの芸者衆がいた。取材を通じて知った置き屋「君乃家」の女将(おかみ)さん、犬塚とくさんに上総地方の人と歩みと、ついでに人事百般を教えてもらった。

 君乃家を訪ねると、いつも「お上がりよ」と声をかけてくれ、火鉢のそばで一本つけてくれた。お茶を挽(ひ)く姐さんに、「木更津小唄」や「木更津甚句」を教えてもらったのもこの頃である。土地柄なのか、どこかぬくもりのある人生最良の日々であった。

 こちら、「東をどり」の新橋芸者や、「都をどり」の祇園芸者と聞くと、花柳界を代表するだけになんとなく敷居が高い。でも、小福さんが「ヤマガール」だと知って、高校、大学の山岳部OBとしては、得意の“土俵”に持ち込んだような心持ちであった。

 さて、江戸の粋を代表する新橋芸者の出し物は、にぎやかな清元「神田祭」から始まった。祭りの夜にほろ酔い気分で出てきた鳶頭(とびがしら)と芸者衆のやりとりに、しっとりとした口説きが面白い。終盤の総踊りでは、軽妙な曲にのせて、祭りのにぎわいを盛り上げる。

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