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【スポーツ茶論】心に残る鉄人の言葉 正木利和

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【スポーツ茶論】
心に残る鉄人の言葉 正木利和

1987年6月、試合終了後、「2131」を記した花輪を手に観客の祝福に応える衣笠祥雄選手=広島 1987年6月、試合終了後、「2131」を記した花輪を手に観客の祝福に応える衣笠祥雄選手=広島

 かつて広島カープの広報室長を務めた池田博彦さん(87)がまだ記者だったころの話である。

 夏の甲子園球場のネット裏で、広島の木庭教(きにわ・さとし)スカウト(1926~2008年)といっしょに京都・平安高校(現龍谷大平安)-高知高校の準々決勝を見ていたとき、気づいたら、いつの間にか木庭さんがいなくなっていたのだという。

 木庭さんは1975年から始まる広島カープ黄金期の陰の立役者として、のちに「スカウトの神様」の異名をとった人物だ。

 「あのときはどうしたん、とあとで木庭さんに聞いたら、すぐに京都の実家に行って、選手のお母さんにあいさつしたというじゃあないですか。たまげました」

 その「神様」の目にとまった強肩・俊足・強打の捕手こそ先日、71歳で亡くなった衣笠祥雄さんだったのである。

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 いまでこそ、カープのユニホームのイメージカラーは「赤」だが、衣笠さんが入団したころの65年は深い「青」が基調だった。背番号「28」をつけ、内野手に転向した精悍(せいかん)な若者は、バネの利いた打撃とハツラツとしたプレーでレギュラーに定着してゆく。

 75年にユニホームのイメージカラーが「赤」に変わり、背番号も「3」になってホットコーナーをまかされるようになったときには、もうとっくに「若鯉(わかごい)」を卒業し、木庭さんが見込んだ通り主軸打者に育っていた。その後も2215試合連続出場の記録を打ち立て、87年にはプロ野球史上2人目の国民栄誉賞を受賞する大打者になる。

 そのころは、池田さんもスポーツ記者から球団の広報室長に転身していて、栄えある授賞式に衣笠さんと松田耕平オーナー(1922~2002年)の3人で出席、衣笠さんが首相官邸で、ときの中曽根首相に記念のバットをプレゼントするシーンにも立ち会った。

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