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【オリンピズム】メルボルンの風(下)一艇ありて一人なし

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【オリンピズム】
メルボルンの風(下)一艇ありて一人なし

メルボルン五輪のボート競技エイト種目で準決勝に臨む日本代表、慶大クルーの衣非宏監督(右から3人目)と選手たち=1956年11月、メルボルン(岩崎洋三氏提供) メルボルン五輪のボート競技エイト種目で準決勝に臨む日本代表、慶大クルーの衣非宏監督(右から3人目)と選手たち=1956年11月、メルボルン(岩崎洋三氏提供)

 「外国選手はスポーツを楽しんでいる。日本なら感じられる、緊張感のあまりの重苦しい空気がない」「彼らの態度に外国と争う緊張感が緩むのを注意したが、予選で、フランスの背中を見て、その安心感がチェコスロバキアを追えなかった原因かもしれない」。世界との戦いをさまざまに感じ取った。

 湖のあるバララットはメルボルンから離れており、別に選手村が設けられた。ボートだけで海外の選手と交流を深めた。「世界の強豪と伍(ご)していくには交流を盛んにすること」「代表になったから、他国の選手たちと交流を深める。それが本当のオリンピック」。そうとも知った。

 猛練習についていき、「己に克(か)つ」、その一心だったクルー。母校の慶大では健康管理を医学部が支え、工学部がボートの設計に携わった。学部生だけでは得ることのできない友も得た。「これぞユニバーシティの力」。学生スポーツのあるべき姿を示した。

 「天の時、地の利、人の和」と岩崎は語る。そして、「一艇ありて一人なし」。クルーの絆をたたえた言葉が浮かぶ。クルーが力をそろえなければボートは出ない。社会に出ても通じることだった。

 2002年の世界マスターズ。五輪から46年、ウェンドリー湖にこぎ出したクルーにはもう一つ目的があった。他界した江田の遺言を果たすこと。仲間は遺骨の入った小さな陶器を湖にそっと沈めた。「準決勝には負けたが、もう一度、戦ってみたい」。静かな湖面に、ただ一つの心残りがこだました。=敬称略(蔭山実)

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