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【オリンピズム】冷たい戦いを超えて(19)祖国にメダルを持ち帰るまで

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【オリンピズム】
冷たい戦いを超えて(19)祖国にメダルを持ち帰るまで

 「選手生命を絶たれるかもしれない。祖国が突如として独立国家になってもエリート選手を育てる環境がない」

 1991年12月、ソ連が崩壊した。連邦を構成していたウズベキスタンから17歳で体操女子の五輪代表に選ばれるまでに成長したオクサナ・チュソビチナは不安を感じるばかりだった。祖国と自由を手にしても、ソ連という“よろい”を脱ぎ捨てることは容易なことではなかった。

 戦後の世界を支配した冷戦は80年代後半、ソ連の指導者としてミハイル・ゴルバチョフが登場し、米国との対立から対話へと向かう。やがてソ連の崩壊とともに冷戦時代は終わりを告げ、政治主導のソ連式スポーツも崩壊した。それによって解き放たれた力にもまた、大きなものがあった。

 ソ連崩壊から半年余りの92年7月28日、チュソビチナは戦後の一つの歴史に終止符を打つ大舞台のまっただ中にいた。バルセロナ五輪、体操女子団体総合の決勝。ソ連を構成した共和国の集合体「統一チーム」(EUN)で五輪に初出場し、他の共和国の精鋭とともに、米国、ルーマニアと激戦を演じていた。

 規定演技を終えて2位の米国との合計得点差は0・5点。自由演技に入りルーマニアが米国を抜いて猛追。最後は0・587点の差でEUNが逃げ切り、“ソ連”最後の金メダルを手にした。差はわずかでも一度も首位の座を譲らない王者らしい勝利だった。

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