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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(7)京城帝大の「終戦」 なごやかに引き継いだ日朝師弟

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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】
(7)京城帝大の「終戦」 なごやかに引き継いだ日朝師弟

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 東亜同文書院は、近衛篤麿(あつまろ)(首相を務めた近衛文麿の父)の提案で、上海につくられた。明治34(1901)年から終戦まで外交官やビジネスマン、研究者など多くの中国のエキスパートを送り出している。同じようにロシアの専門家を育成する目的で後藤新平(初代満鉄総裁、東京市長)の肝煎りで満州に創設されたのが哈爾濱(ハルビン)学院(後にいずれも大学に昇格)だ。「命のビザ」の杉原千畝(ちうね)は同学院で学び、教鞭(きょうべん)も執っている。

 日本が外地(台湾、朝鮮、満州など)に設けた学校は終戦で順次、閉鎖を余儀なくされた。愛知大学は、それらの学校から引き揚げてきた教員・学生の受け皿となるべく、東亜同文書院最後の学長だった本間喜一が中心になって昭和21年、愛知県豊橋市につくった学校である。

 愛知大草創期の教員名簿を見ると、東亜同文書院出身者と並んで、台北、京城の両帝国大学の元教授が多い。最高裁判事を務めた園部逸夫(いつお)(88)の父親で台北帝大教授(行政法)だった園部敏もそのひとりだ。逸夫は昭和4年、父が京城法学専門学校で教えていた関係で朝鮮で生まれ、旧制台北高校から終戦後、四高(金沢)へ転入、京大へ進んでいる。

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