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【日曜に書く】論説委員・鹿間孝一 平昌と母校のジャンプ台に馳せる子供たちの夢

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【日曜に書く】
論説委員・鹿間孝一 平昌と母校のジャンプ台に馳せる子供たちの夢

銅メダルを獲得した高梨沙羅の1回目のジャンプ=12日、アルペンシア・ジャンプセンター(松永渉平撮影) 銅メダルを獲得した高梨沙羅の1回目のジャンプ=12日、アルペンシア・ジャンプセンター(松永渉平撮影)

 「マッサン」の夢

 戦時中、余市中学の校長から、こう依頼された。「スキーのジャンパーは優秀な飛行士になる。空に舞い上がる経験が飛行訓練に効果的だ。ついては、中学生用のジャンプ台をつくってもらえないだろうか」

 スポーツ好きだった竹鶴は二つ返事で引き受けた。元オリンピック選手の設計で、中学のスキー部員も夏休み返上で作業に加わり、現在の余市高校の裏山にジャンプ台が完成した。「竹鶴シャンツェ」と呼ばれる。

 竹鶴はこの台からオリンピック選手が育つのを夢見た。それが最高の形で実現する。

 余市高校出身の笠谷幸生が、72年の札幌五輪の70メートル級(現在のノーマルヒル)ジャンプで見事に金メダルに輝いたのだ。しかも「日の丸飛行隊」が金・銀・銅を独占した。笠谷はニッカの社員でもあった。

 「『笠谷やりました…』というアナウンサーのはずんだ声を耳にしながら、色々な思いが私のなかを去来した。きびしい努力と精進で、日本スキー史始まって以来の快挙をやってのけてくれた。多くの名選手を生むのに竹鶴シャンツェが役立ったことに、ひとりで満足した」(自伝「ウイスキーと私」から)

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