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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(5)「外地初」となった京城帝大 豪華な教授陣と恵まれた設備

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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】
(5)「外地初」となった京城帝大 豪華な教授陣と恵まれた設備

京城(現韓国ソウル)清涼里にあった予科の校舎 京城(現韓国ソウル)清涼里にあった予科の校舎

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 京城帝国大学とは、どんな学校だったのか。

 大正13(1924)年、帝国大学では6番目の創設、外地としては初めての帝大で、大陸(満州、朝鮮)唯一の総合大学…。大学本部、法文・医・理工の3学部、予科、付属病院、各種研究所、図書館、運動場などを合わせた敷地面積は計約40万坪に及ぶ。

 教授陣の顔ぶれも豪華だった。15年に学部が発足したときの医学部長は、赤痢菌の発見で知られる志賀潔(きよし)(後に総長)、法文学部長は、哲学者の安倍能成(よししげ)(後に旧制一高校長、文相、学習院長)。学校運営に年間300万円(現価で60億円前後)以上(昭和16年度)の予算が組まれた。

 朝鮮よりも15年早く、日本の統治が始まった台湾は、先を越されて悔しがったらしい。予科の国語教授(生徒監)だった近藤時司は同窓会誌で次のようなエピソードを披露している。「(朝鮮総督府の)政務総監が台湾総督府の総務長官と一緒になり、京城に帝大をつくるのだと、得意になって話した。当時予算は台湾が黒字で、朝鮮は赤字(※歳入の不足分を日本政府が補填(ほてん)した)だった。赤字の朝鮮がやるのなら台湾も…」。台北帝国大学の創設は遅れること4年、昭和3年のことだった。

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