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【オリンピズム】冷たい戦いを超えて(8) 世界の目を祖国に向けさせたい

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【オリンピズム】
冷たい戦いを超えて(8) 世界の目を祖国に向けさせたい

 プラハの春の支持者だったゆえにいつ拘束されるか分からず、東部のモラビア地方に避難する。練習施設などなく、ジャガイモを入れた袋を持ち上げたり、木の枝にぶら下がったり、丸太の上を歩いたりして調整を重ねた。

 出場を許可されたのも五輪直前だった。だが、天賦の才能を発揮し、個人総合で2大会連続の金メダル。種目別の床運動でソ連の選手と金メダルを分け合ったときは表彰式でうつむき、無言で抵抗した。「メキシコでは限界までがんばった。それは祖国の惨状へ世界の目を向けさせたかったから」。チャスラフスカは後年、そう語っている。

 12年後、モスクワ五輪を迎えてソ連は「世界は帝国主義と戦う途上国を助ける国際的な義務をソ連が果たしていると分かっている。五輪憲章を破るようなこともしていない」と主張し、アフガン侵攻に端を発したボイコット問題を一蹴しようとした。

 モスクワ五輪の開催決定は冷戦時代にあってデタント(緊張緩和)の頂点だった。それをブレジネフ体制下での強硬な冷戦外交が壊した。IOC会長のキラニンは事態を悟らせようとしたが、ブレジネフは演説で、「内戦が収まり、米国もそれを認めれば、撤退する」と語るだけだった。

 米国への亡命を志したアフガン選手の消息はようとして知れない。それから28年、ロシア軍のジョージア(グルジア)侵攻が北京五輪を揺るがした。平和と友好を築くという五輪の理想だけで世界の緊張を緩和することはいまも難しいようだ。=敬称略(蔭山実)

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