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【産経抄】11月26日

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【産経抄】
11月26日

 芥川龍之介は、仮名の形にも美醜や好悪の情を覚えた。例えば〈「い」は落ち着いてゐる、「り」は如何にも鋭い〉と随筆に書き留めている。文字を子細にながめたことのある人は、よく似た経験をお持ちだろう。

 ▼災難だったのが「く」の字で、芥川は文字のつくりを嘆いていわく〈折れ釘(くぎ)のやうに、上の文章の重量をちやんと受けとめる力に乏しい〉。縦書きしかない時代に生きた文豪の、繊細な神経がしのばれる。罪のない文字に同情しつつ、格調高い小言に深くうなずく。

 ▼原稿用紙の上のみならず地球儀の上でも煙たがられ、やはり幸薄い仮名らしい。本州の南側に12年ぶりとなる巨大な「く」の字が現れ、東海や関東でのシラス不漁の責めを負わされている。本来なら太平洋を東北東へと緩やかに流れる黒潮の帯が、大蛇行している。

 ▼不漁は「く」の字に伴う海水温の変化が原因といい、10月の台風による高潮被害も大蛇行が災いしたという。北太平洋で秋サケやサンマ漁の実入りが乏しいと聞けば、異変との相関が気になる。潮の流れに折り目正しさを求めても詮無いが、望ましいコースはある。

 ▼ものの本によれば、深層水を含む海水は約2千年で世界を循環するという。過去の例から「大蛇行は1年以上続く見通し」と聞いても驚かない。地球という大きな浴槽をかき回せばこちらの海で温度が下がり、あちらの海で温度が上がる。それが自然の摂理だろう。

 ▼これから迎える冬の食卓に大きな余波が及ばぬ事を祈るのみである。貝殻で海を量るのは慎むとして、この星に間借りする身は天地の異変に神経質でありたい。芥川には〈木がらしや目刺にのこる海の色〉という句もあった。よほど不安だったのだろう。「く」の字は用いていない。

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