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【正論】明治150年に国を見つめ直せ 島崎藤村の維新観を手掛かりに来し方行く末を考える 大阪大学名誉教授・猪木武徳

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【正論】
明治150年に国を見つめ直せ 島崎藤村の維新観を手掛かりに来し方行く末を考える 大阪大学名誉教授・猪木武徳

大阪大学名誉教授・猪木武徳氏 大阪大学名誉教授・猪木武徳氏

 この師走は大政奉還から150年。年が明ければ明治新政府が「王政復古」を各国公使に通告、外国との和親を国内に布告して150年ということになる。このエポックを記念して、行政やメディアは、さまざまな記念行事を計画していると聞く。

≪幕府が陥っていた財政の窮乏≫

 ちょうど150年前の京都では、幕府と朝廷の間でいかなるやり取りがあったのか。1867(慶応3)年10月14日、将軍慶喜は大政奉還上表を朝廷に提出、翌15日に参内(さんだい)して大政奉還の勅許の沙汰書を受け、9日後の24日に将軍職の辞職を請うている。朝廷が「王政復古」を宣言するのは12月9日であった。

 最後の将軍慶喜が辞職を請うてから「王政復古」の宣言までの2カ月足らずの間に、同じ京都では坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺され、新年早々から鳥羽・伏見の戦いが起こっている。その後「戊辰戦争」は箱館で榎本武揚が降伏するまで1年5カ月続く。150年前のこの時期、京都はまさに政治的大転換の主要舞台であった。

 ただ経済的には、150年前を境に封建制度が崩壊し、何もかもが新しくなるという断絶が起こったわけではない。近年の日本経済史では、1820年代にすでに、農村工業の生産は拡大し、経済の持続的成長が始まっていることが指摘されている。農業技術にも進歩が見られ、養蚕の改良も進んだ。新田開発も著しい。こうした近代経済成長の胎動にさらなるショックを与えたのが、黒船に象徴される外国からの衝撃であったということができよう。

 ただ政治的な事件だけで、歴史を見るのではなく、その底流としての長期的な経済的動きを見逃してはならない。この時期の経済的な変化には、150年たった現代でも参考になるような現象がいくつか認められる。

 ひとつは、幕府も諸藩も財政の著しい窮乏状態に陥っていたことだ。幕府は開港場の整備や、砲台の建設、陸軍の創設、軍艦・商船の購入などの多額な出費を余儀なくされただけでなく、2度にわたる長州征伐の戦費も大きな負担となっていた。

≪排外主義に傾倒した志士たち≫

 一方、収入のほうは、海防警備の費用負担に喘(あえ)ぐ諸藩からの上納金を当てにすることもできないため、旧貨を回収して品位の劣る新貨を改鋳してその差益を幕府の収入とする弥縫(びほう)策に終始していた。さらに江戸や大坂の豪商に御用金を賦課するという始末である。

 幕府財政の専門家の計算によると、改鋳益金の幕府財政収入に占める割合が、1863年には68%に達したという。

 諸藩が藩札を乱発し、商人からの「借り入れ」を繰り返し、武士への信用が著しくきずつけられて行く様子は、時代小説の格好のテーマになっている通りである。

 こうした財政の窮乏が開国以後のインフレーションを招いたことは言うまでもない。1860年代初頭、60年代中葉、そして維新直後69年の3度のインフレは貨幣改悪によるところが大きい。

 経済的要因以外でも、江戸幕府の終焉(しゅうえん)をもたらした当時の日本人の精神的構造に注目すべき点がいくつかある。そのひとつは、一時期尊王攘夷を掲げた志士たちの多くが、国学に強く傾倒していたという点である。

 倒幕に奔走した勤王の志士たちの多くが、西洋化否定の排外主義と、いわゆる「漢心(からごころ)」からの脱却を前面に強く打ち出していた時期があった。

 彼らの精神的支柱が平田篤胤の国学にあったという点は、島崎藤村の大作『夜明け前』にもかなり詳細に描かれている。もっとも、藤村の平田神道の理解には、歴史家や思想史家の批判があることは確かだ。

≪島崎藤村の維新観を手掛かりに≫

 しかし、そうした批判は篤胤の門人たちの平田国学の理解と篤胤自身の思想が異なっていることを指摘しているだけであって、藤村のあの傑作の価値をおとしめることにはならないはずだ。

 確かに平田篤胤は当時の科学技術にもきわめて明るく、キリスト教に関する知識も中途半端なものではなかったことが、近年指摘されるようになった。つまり、彼は外国の思想や文物を、すべて排除するというような、狭量で非合理な思想の持ち主では決してなかったのである。

 思想そのものと、解釈された思想とは別物である。本居宣長を篤胤がどう理解したか、その篤胤を門人たちがどう要約したのか。思想の伝播(でんぱ)には「伝言ゲーム」のような不正確さが常に付きまとう。

 その点では、島崎藤村の「明治維新に対する本居宣長の位置は、あたかも仏蘭西革命に対するルウソオの位置に似ている」という言葉は味わい深い。

 ルソーのいう「自然」と本居宣長のいう「自然(おのずから)」は異なるとしても、150年という「区切り」は、この島崎藤村の明治維新観を手掛かりに日本の来し方行く末を考え直すよい機会となるのではなかろうか。(大阪大学名誉教授・猪木武徳 いのきたけのり)

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