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【国語逍遥(91)】「缶切り」を知らない子供たち 名句の情趣をとどめる教育どう施すのか  清湖口敏

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【国語逍遥(91)】
「缶切り」を知らない子供たち 名句の情趣をとどめる教育どう施すのか  清湖口敏

 「『ういてこい』が出題されている!」と、やや興奮気味に同僚が見せてくれたのは、受験の超難関校として知られる灘中学校(神戸市)の平成28年度入試問題だった。

 以前、小欄で玩具の「ういてこい」を取り上げたのを同僚が覚えていてくれたもので、さっそく国語科の問題に目をやった私は、強い驚きを禁じ得なかった。「ういてこい」のほか「もがりぶえ」「てんかふん」「よめがきみ」といった俳句の季語に関する出題が並んでいたのである。

 言うまでもなく解答するのは小学6年生である。大人でもこれら4つの季語をきちんと説明できる人はそれほど多くはないだろう。

 さすがは灘中だ、こんなにも難しい季語を出題するなんて…と感心しながら、あらためて問題をじっくりと読んでみた。そこで初めて合点がいった。これは実は、季語の知識を問うというより推理力を試す問題だったのである。

 「もがりぶえ」の出題を例にとってみよう。3つの掲句をヒントに、「もがりぶえ」の説明として最も適切なものを後の4つの選択肢から選べという問題だ。

                  *

 ・新しき枕眠れずもがりぶえ (星野椿)

 ・もがりぶえ風の又三郎やあーい (上田五千石)

 ・一湾の春まだ遠きもがりぶえ (富安風生)

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 (ア)春、朝を知らせる鳥の鳴き声

 (イ)夏、山歩きのときに吹く笛

 (ウ)秋、夕暮れごろ鳴く虫の声

 (エ)冬、夜に風の立てるかすれた音

                  *

 「もがりぶえ」そのものを知らなくても、3句目の「春まだ遠き」から「冬」だと直観でき、「風の又三郎」から「風」への連想も働こう。したがって答えはエということになる。

 同僚によれば、灘中の入試に俳句が出題されるのはほぼ恒例で、しかも受験参考書に載っているような句ではなく、一般にはほとんど知られていない句が出題されることが多い。要するに、知識詰め込み式の勉強では太刀打ちできない仕組みになっているのだ。

 そもそも俳句に限らずあらゆる国語文の読解や鑑賞においては、詰め込み式で覚えた知識なんかより、推理力や想像力のほうがよっぽど役に立ち、そこを狙った灘中の出題は「お見事」というほかない。

 おっと、いま私はつい迂闊(うかつ)にも「知識なんかより」と書いてしまったが、もちろんそこには程度の問題が必ずあるわけで、決して知識の習得そのものを軽視したつもりではない。

 灘中の入試問題は推理力を働かせれば解けるようになってはいたが、これが例えば「一湾の春まだ遠きもがりぶえ」の句だけを示して、この大意を書けと言われれば、やはり「もがりぶえ」が何たるかを知らないことにはどうにも解くすべがない。また「もがりぶえ」を知っていても「一湾」の意味が分からなければ、これも解釈は難しい。

 秋元不死男に「鳥わたるこきこきこきと罐(かん)切れば」の有名な一句がある。昭和21年の作で、自解によれば「敗戦のまだなまなましく匂う風景の中で、私は、解放された明るさを噛(か)みしめながら、渡り鳥を見あげ、コキ、コキ、コキと罐を切った」というのである。

 終戦後の食糧難をよく知る世代には、当時の庶民にとって罐(缶)詰がどれだけ貴重な食料だったか…と、ある種の感慨にふける人もいるかもしれない。

 そんな缶詰をコキ、コキと音を楽しむかのように切っている。乾いた響きのカ行音を連ねた中七、下五が澄明感を誘う。渡り鳥が飛ぶ晴れた秋空の下で、小さな缶詰を切っている自分。自然と人事との、大と小との対照が何とも絶妙だ。

 この「鳥わたる…」について以前、こんな話を聞いたことがある。現在の小中学生には「こきこきこきと罐切れば」が描出する情景が全く想像できないというのである。のこぎりか何かで缶を切断する様子を思い浮かべる子もいるそうだ。

 無理もない。今どきの缶詰といえば、缶の蓋についたタブを引っ張って開ける方式が普通だから、日常で缶切りが必要となる場面はほとんどない。日本気象協会の「トクする!防災」プロジェクトで行われた昨年の調査では、ボランティアとして参加した36人の中学生のうち約7割の25人が缶切りで缶詰を開けることができなかったという。

 「行水の捨て所なき虫の声」。江戸中期の俳人、上島鬼貫のこの名句も、行水や盥(たらい)を知らない現代っ子には情景がありありと目に浮かんでくることはないだろう。たとえ参考書などで一通りの句意を学んだところで、おとぎ話の一場面みたいに非現実的な世界にしか映らないのではあるまいか。「鳥わたる…」も同様に、缶切りを使って缶詰を開ける行為が日常生活から消えていったことで、句の情趣を感動をもって味わうことはほとんど不可能になったような気がする。

 名句の輝きを永遠にとどめるには、今の子供たちにどのような教育を施していけばいいのか-灘中入試も顔負けの超難問ではある。

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