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【国語逍遥(90)】存亡の危機 現実の「息づかい」が見える 清湖口敏

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【国語逍遥(90)】
存亡の危機 現実の「息づかい」が見える 清湖口敏

 そこで考えてみた。国家にしろ企業にしろ、存亡即(すなわ)ち「存(存続)か亡(滅亡)か」が問われるのは、決して無事の日ではなく、風雲急を告げるがごとく危機が切迫した局面であるはずだ。存亡の「機」が常に「危機」である以上、本来の言い方か否かはさておいても、「存亡の危機」を誤りとする根拠は極めて薄弱といわねばならない。

 では「存亡の機」を「本来」とする理由は奈辺にあるのだろうか。次の2つが思い当たる。

 諸葛亮(字(あざな)は孔明)の「出師表(すいしのひょう)」を出典とする言葉に「危急存亡の秋(とき)」があるが、この秋とは機(時機)のことだから、「存亡の秋」は「存亡の機」とも言い換えられる。したがって「存亡の機」が本来の言い方であるというのが第1の理由だろうか。

 いま一つは、存亡には「亡」とともに「存」の意味もあるから、存亡の岐路に立ったところで必ずしも危機とはいえないという理屈だ。なるほど、論理的にはそうかもしれない。

 手元の数種の国語辞典にあたっても、大抵が「存亡の機」や「存亡の秋」を用例に載せ、「存亡の危機」を掲げる辞書は一つもなかった。辞書界は「存亡の危機」を認めていないものと見受けられる。

 それでも私は、あくまで個人的な見解ながらも、「存亡の危機」も「存亡の機」同様に、本来の言い方、正当な表現だと認定してやりたいのである。

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