産経ニュース

【日曜に書く】「M78星雲」の姉妹都市と「一人の道」 論説委員・別府育郎

ニュース コラム

記事詳細

更新

【日曜に書く】
「M78星雲」の姉妹都市と「一人の道」 論説委員・別府育郎

 円谷はあの日、エチオピアの「裸足(はだし)の英雄」アベベに続いて2番目で国立競技場に帰ってきた。英国のヒートリーが猛然と円谷の背中を追う。

 8歳上の兄、喜久造さんは第2コーナーのスタンドで、ただただ弟の完走を念じていた。後続は遠い。完走さえすれば、メダルの獲得だ。

 ヒートリーには抜かれたが、3位の円谷は表彰台に上がり、国立競技場のポールに日の丸が掲揚された。これが東京五輪で唯一、国立の表彰式で揚がった日の丸である。

 ただ円谷は、大観衆の面前で抜かれ、順位を落としたことが許せなかった。メキシコ五輪での雪辱を誓うが故障も重なり、4年後、自ら命を絶った。

 「父上様 母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿 もちも美味しうございました」「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒 お許し下さい」「幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました」

 川端康成が「千万言も尽くせぬ哀切」と評した遺書は、銅メダルや当時のユニホーム、シューズなどの遺品とともに、須賀川アリーナ内の円谷幸吉メモリアルホールに飾られている。

続きを読む

「ニュース」のランキング