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【日曜に書く】勝海舟、山田方谷起用 幕府に殉じた最後の老中板倉勝静 論説委員・井伊重之

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【日曜に書く】
勝海舟、山田方谷起用 幕府に殉じた最後の老中板倉勝静 論説委員・井伊重之

 慶喜にも重用された勝静は老中首座に昇格する。しかし、幕末という激動の時代に翻弄され、その運命は大きく暗転していく。

 慶喜は幕府が朝廷に大政奉還しても、実務能力が乏しい朝廷は幕府に統治を任せるだろうとみていた。だが、薩摩・長州藩などは王政復古の大号令で新政府を樹立し、大政奉還から約3カ月後、新政府軍は鳥羽伏見の戦いで幕府軍を打ち破る。

 この戦いの最中、慶喜は味方の兵士を残して幕府の戦艦で江戸まで逃げ帰った。「錦の御旗」を掲げた新政府軍との戦いを避けるためだったとされる。勝静も同乗して江戸に戻り、いったんは謹慎したが、最後は海軍副総裁の榎本武揚らと一緒に函館・五稜郭に立てこもって新政府軍と対峙(たいじ)した。

 ◆五稜郭で新政府軍と対峙

 すでに幕府には将来がないことを見抜いていた方谷は、勝静が幕閣として江戸で仕事をすることに賛成していなかったようだ。勝静に請われた方谷は顧問として江戸でも勤務したが、勝静が老中に抜擢された後、途中で備中松山藩に戻っている。あくまでも幕府に奉じた勝静に対し、方谷は領地や領民が心配だったのだろう。

 ただ、函館にいた勝静を外国商船を使って半ば強引に連れ戻したのも方谷の采配だった。最後まで主君を見捨てることはなかった。勝静は新政府に自首して禁錮処分を受けた後、赦免されたが、故郷で方谷と涙の再会を果たすのは函館を出てから6年後のことだ。

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