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【オリンピズム】“トビウオ”とその時代(10)南米遠征で、たった一杯の水で…

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【オリンピズム】
“トビウオ”とその時代(10)南米遠征で、たった一杯の水で…

 「赤痢をやったことがありますね」。1989(平成元)年、古橋広之進は目の治療のために入院した病院で医師からこう尋ねられた。40年近くも前にかかった病魔がいまだに体内に残っていたことを知らされたのだ。

 1949(昭和24)年の全米選手権で「水泳ニッポン」の実力を内外に知らしめた古橋らは帰国後、熱狂的な祝福を受けた。羽田飛行場から宿舎のある四谷まではオープンカーでのパレード。沿道は日の丸の旗を持った人々であふれたという。だが、橋爪四郎の姿はなかった。「帰国途中のハワイで盲腸になってね。羽田からみんなはオープンカーだったけど、僕は救急車で病院に直行。残念だったな」。以前、橋爪から聞いた後日談だ。

 ともかくも大人気だった。当時はプロ野球よりも競泳の方が注目度は高かったかもしれない。そして引く手あまたの古橋らは翌50年2月、在留邦人の要請を受け、約3カ月間にわたって南米5カ国を巡る遠征に出る。しかし、この遠征に、思いもかけない不運が待ち受けていようとは知る由もなかった。それも、たった一杯の水によって…。

 遠征の第一歩を記したのはブラジルだった。サンパウロでの最初の大会では日の丸の掲揚が許され、多数の日系人が日の丸の旗を見るためにも各地から訪れたという。古橋はこの遠征でも400メートル自由形で4分32秒6という世界記録をマークし、大変な歓迎を受けた。

 「競技会を終えると連日の歓迎会。ただ、どこに行っても『水は飲むな』といわれていたので、普段はコーラなどを飲んでいたのだが…」

 遠征にも慣れ、心のどこかに隙が生まれていたのかもしれない。リオデジャネイロのホテルでのことだった。

 「部屋に入ると、水が置いてあった。ボーイに聞くと『消毒してあるから大丈夫』という。それまでコーラばかりだったこともあって信じてしまった。その晩からだよ、猛烈な腹痛に襲われたのは」

 最初は盲腸を疑った。だが、アメーバ赤痢に感染したことを知る。「公表すると隔離され、日本に帰れなくなるというんで、部屋にじっと閉じ籠もり、みんなの移動についていくのがやっとだった」

 ウルグアイ、アルゼンチン、チリでは一度も泳がなかった。点滴を受けて横たわる毎日。「当時は有効な薬はなくて、移動の飛行機などではずっとトイレに座りっぱなしだった」

 そんな状態だったが、帰途のニューヨークでは「留学中のマーシャル(オーストラリア)と対戦してくれ、実はすでに切符は売ってある」と強引に口説かれ、一騎打ちを引き受けさせられた。「下痢が続いて全く練習もしていないし、相手は強敵。タッチの差だったが、勝てたのが不思議なぐらいだった」。何とか勝ちはした。しかし帰国後も体調は一向によくならなかった。=敬称略(金子昌世)

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