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【オリンピズム】“トビウオ”とその時代(2)五輪王者は世界王者にあらず 日本がたたきつけた挑戦状

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【オリンピズム】
“トビウオ”とその時代(2)五輪王者は世界王者にあらず 日本がたたきつけた挑戦状

 48年8月6日、1500メートル自由形決勝。神宮プールは1万7千人もの観客で膨れあがった。「朝から千駄ケ谷や信濃町の駅からすごい行列ができていた」と古橋。予想通り、同じ日大水泳部の橋爪四郎との一騎打ちとなり、世界記録を20秒以上も短縮する18分37秒0という驚異的な記録で優勝を果たす。2位の橋爪も0秒8差で続いた。ロンドン大会優勝のジェームズ・マクレーン(米国)の19分18秒5を上回る圧勝だった。

 「失礼ながら、そんなに遅くて何で五輪で優勝できるのかという気持ちだった」。後に古橋から聞いた感想だ。2日後の400メートル自由形でも世界新を樹立。この快挙に国民は熱狂した。米国チームのロバート・キッパス監督からは祝電が届き、満員の神宮プールでも読み上げられて、大きな拍手を浴びたという。さらに36年ベルリン五輪200メートル平泳ぎ金メダリストで、当時毎日新聞の記者だった葉室鉄夫からは「記録を聞いたキッパス監督が耳をピクッとさせて『日本が来なくて幸いだったよ』と語ったといった外電が来たりしたんだ」とも聞いた。

 狙い通りに世界に日本の力を示した競泳陣。翌年、日本水連は国際競技連盟(IF)への復帰を果たす。「ロンドン大会」に挑んだ田畑の狙いはここにあったのだろう。IFへの復帰なくして五輪参加の道はない。当時のスポーツ界にはこれだけの人材がいた。=敬称略(金子昌世)

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