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【オリンピズム】“トビウオ”とその時代(2)五輪王者は世界王者にあらず 日本がたたきつけた挑戦状

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【オリンピズム】
“トビウオ”とその時代(2)五輪王者は世界王者にあらず 日本がたたきつけた挑戦状

 12年ぶりに再開された五輪、1948(昭和23)年ロンドン大会への出場がかなわなかった日本。だが、競泳では前年の47年8月には明治神宮水泳場、通称「神宮プール」ですでに日本選手権が開催され、スポーツ復興の歩みは始まっていた。

 そして、ここでも古橋広之進は快挙を演じている。400メートル自由形で4分38秒4の“世界記録”。当時、日本水泳連盟が国際水泳連盟から除名されていたため、公認されない幻の記録となったが、「五輪で日本の力を示す」という希望の灯はともった。それだけにロンドン大会からの締め出しは、水泳関係者を落胆させたに違いない。

 そして、日本水連の妙案はここから生まれる。ロンドン大会の日程に合わせて日本選手権を開催したのだ。大会プログラムには当時の日本水連会長、田畑政治の「ロンドン大会に挑む」思いがつづられている。

 「いうまでもなくオリンピック大会は世界選手権大会を兼ねており、もし諸君の記録がロンドン大会の記録を上回るものであるならば、オリンピック・チャンピオンは実質的にワールド・チャンピオンたる栄誉に値しないことになる…ワールド・チャンピオンはオリンピック優勝者にあらずして日本選手権の優勝者である」

 いわば日本水泳界が世界にたたきつけた挑戦状、それが48年の日本選手権だった。後に64年東京五輪招致に深く関わり、東京大会の事務総長を務める田畑は、女子バレーボールの正式種目採用に向けても陣頭指揮を執る。タフネゴシエーターぶりがうかがえる逸話だ。

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