産経ニュース

【オリンピズム】1972札幌(15)スキーを飛行機にのり換えて 戦火に散った“幻の札幌五輪”

ニュース コラム

記事詳細

更新

【オリンピズム】
1972札幌(15)スキーを飛行機にのり換えて 戦火に散った“幻の札幌五輪”

明大時代の森史郎(左)とチームメートたち(森敏氏提供) 明大時代の森史郎(左)とチームメートたち(森敏氏提供)

 1998(平成10)年1月、約1カ月後に迫った長野五輪への出場が正式に決まったノルディックスキー複合の森敏のもとに、見知らぬ人たちから相次いでFAXが届いた。いずれも内容はほぼ同じだった。「史郎おじさんの分まで頑張れ!」-。

 「史郎おじさん」とは森の祖父の弟、つまり大叔父にあたる森史郎を指す。長野県野沢温泉村に生まれた史郎は、旧制飯山中(現飯山北高)から明治大に進み、40(昭和15)年、41年と全日本選手権ジャンプ少年の部を連覇した。39年の同選手権を制した久保登喜夫とともに、“幻の札幌五輪”への出場が確実視されていた有望選手だった。

 “幻の五輪”と呼ばれる大会は40年東京五輪だけではない。同じ年、札幌で行われる予定だった冬季五輪もまた、日中戦争の激化によって日本政府が開催権を返上し、“幻”に終わっていた。

 史郎と久保は同じ運命をたどった。戦争に五輪出場という夢を絶たれたばかりか、ともに学徒出陣で戦地に送り込まれ、「神風特攻隊」として若い命を洋上に散華させた。

続きを読む

「ニュース」のランキング