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【スポーツ茶論】3年後、2度目の東京五輪をどう伝えるのか 別府育郎

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【スポーツ茶論】
3年後、2度目の東京五輪をどう伝えるのか 別府育郎

東京五輪(左)とパラリンピックのエンブレム「組市松紋」(「Tokyo 2020」提供) 東京五輪(左)とパラリンピックのエンブレム「組市松紋」(「Tokyo 2020」提供)

 昭和十八年、第二次世界大戦の戦局急をつげた十一月のある日を思いだす。ほとんどの学生が、学業なかばで動員となった。戦争目的も理解しえないまま、わたくしも赤ダスキをかけた。明確であったのは「死なねばならぬ」ことだけである。世にもあわれな門出を国民はここで盛大に送ってくれた。それは、いま目の前をあるく日本の青年たちへの「メダルの期待」に数倍する期待であった。重苦しく、やりきれぬ“期待”をになって、わたくしは角帽姿にゲートルをまき、銃をかついで、このフィールドを行進した。あのときわたくしのふんだ土のひとかけらぐらいは、いまの美しいアンツーカーの底に、残っているにちがいない》

 早大ボート部で活躍した北川は、出陣学徒壮行会を経て、出征先の中国で負傷した。思えば東京五輪の開催は、終戦から19年しかたっていない。その後の長い年月を考えると、あまりに短い。20年前なんて、ついこの間のことのように思えることもある。

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 1月末まで、下段で「1964東京」と題する連載記事を担当していた。その関係で、当時の紙面に触れる機会が多かった。

 改めて驚かされたのは、新聞の元気であり、編集の大胆さだった。例えばアベベが優勝し、円谷幸吉が銅メダルを獲得したマラソンでは、42・195キロを見開きで10コマに区切り、それぞれをアベベや円谷が語り、長距離界の先駆者、金栗四三と「人間機関車」ザトペックが解説する。

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