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【大阪特派員】「昭和」とともに生きた米朝さん 「あの世の寄席の方がおもろいで、などとお客さんに言われんようになァ」 山上直子 

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【大阪特派員】
「昭和」とともに生きた米朝さん 「あの世の寄席の方がおもろいで、などとお客さんに言われんようになァ」 山上直子 

落語家として初の文化勲章受章が決まり、喜びを語った桂米朝さん=平成21年10月、大阪市(飯田英男撮影) 落語家として初の文化勲章受章が決まり、喜びを語った桂米朝さん=平成21年10月、大阪市(飯田英男撮影)

 かつては東京の人に「大阪弁はコワイ」と言われると、「米朝さんを聞いてよ」と反論するのが常だった。テレビなどでもおなじみの、品のある船場言葉がカッコよかった。

 兵庫県姫路市の県立歴史博物館で、特別展「人間国宝・桂米朝とその時代」が開かれている(3月20日まで)。

 落語家で人間国宝の桂米朝さんは、中国・大連市生まれだが、祖父は姫路市の九所御霊天神社(くしょごりょうてんじんしゃ)の宮司で、父が祖父の跡を継ぐために帰国し、同市で育った。いわば出身地での回顧展だ。

 しかも、それを手がけたのが米朝さんの三男で同館学芸員の中川渉さん。姫路支局の荒木利宏記者のインタビュー記事で知ったのだが、だからだろうか、中川清(米朝さんの本名)という「人」がとてもいい。

 大正14年生まれで平成27年に亡くなったので、文字通り昭和という時代を生き抜いた生涯だ。会場に、米朝さんの道のりは「戦後日本が歩んできた道のりとオーバーラップして明日の世代の道しるべとなるだろう」とあったが、まさに戦後日本の歩みがそのまま、米朝さんの人生に重なる。

 父親の影響で落語に興味を持った少年時代、大学で東京に出て演芸評論家の正岡容(いるる)と出会う青年時代。後に「上方落語は消滅の危機にある。復興に貴公の生命をかけろ」と導いた恩師である。

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