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【オリンピズム】64年東京のいまを歩く(12)ボウリング…正式競技入りの夢は続いた

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【オリンピズム】
64年東京のいまを歩く(12)ボウリング…正式競技入りの夢は続いた

 さる6月22日、全国のボウリング場ではさまざまなイベントが行われた。

 この日、2020年東京オリンピック・パラリンピック追加種目の1次選考にボウリングが残った。それを意識したわけではない。

 1861(文久元)年のこの日、日本初のボウリング場が長崎の大浦外国人居留地で開場したと全日本ボウリング協会(JBC)の資料にある。事始めを記念するボウリングの日だ。

 「発展にはもうひとつオリンピック・パラリンピックでの実施が不可欠」

 JBC前会長で名誉会長の赤木恭平は国際競技性の重要さを熟知している。憧れとなる高い頂と裾野の広がり。両方相まって初めて競技は普及に結ぶ。

ロビー活動が実り、1998年長野冬季五輪で開催されたIOCファミリーボウリング大会で始球式をするサマランチ会長。左斜め後ろに赤木氏 (日本ボウリング協会提供)

ロビー活動が実り、1998年長野冬季五輪で開催されたIOCファミリーボウリング大会で始球式をするサマランチ会長。左斜め後ろに赤木氏 (日本ボウリング協会提供)

 JBC創設は1964年5月、東京五輪まで5カ月だった。「高度経済成長でブームは起きた。続かせるためには競技性が課題だと関係者は認識していた」

 当初からオリンピックが意識されたという。前身の日本ボウリング連盟時代に国際連盟に加盟、63年に全日本選手権も実施された。

 「まずは国内、次いでアジアと戦略がたてられた」

 83年に日本体育協会に加盟、88年から国体の正式競技となった。アジア競技大会では韓国、台湾との協力もあって86年ソウルから正式競技化、今日に至る。

 赤木はこの頃から国際スポーツ界へのロビー活動に乗り出している。競技大会に限らず、会議に限らず、世界中のどんな場所にも巨体を運んだ。国際オリンピック委員会(IOC)委員と報道陣以外の日本人は赤木だけの会議もあった。

 「自分たちの存在をアピールするいい機会なのに何を躊躇(ちゅうちょ)するのか、もったいないと思わないのかな」

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