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【東日本大震災7年】W杯にぎわう故郷に 岩手県釜石市 悲劇と奇跡伝える沼崎優さん(44) 

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【東日本大震災7年】
W杯にぎわう故郷に 岩手県釜石市 悲劇と奇跡伝える沼崎優さん(44) 

岩手県釜石市の沼崎優さん。後ろは建設が進む、ラグビーW杯で使用される「釜石鵜住居復興スタジアム(仮称)」=11日午前、岩手県釜石市(植村光貴撮影) 岩手県釜石市の沼崎優さん。後ろは建設が進む、ラグビーW杯で使用される「釜石鵜住居復興スタジアム(仮称)」=11日午前、岩手県釜石市(植村光貴撮影)

 大家族で囲んだ食卓のにぎやかな笑い声が、今も耳に残る。気を緩めればこぼれ落ちそうになる涙をこらえ、息を深く吸い込む。

 「昨年7月末、鵜住居(うのすまい)に戻ってきました」

 岩手県釜石市で行われた11日の追悼式。遺族代表の沼崎優さん(44)は、今は亡き母のふみ子さん=当時(62)=と妹の佐野梢さん=同(29)、その娘で幼かった2人のめいに、こう語りかけた。

 再建した自宅の裏手は更地が広がり、その中で2019年ラグビーワールドカップ(W杯)のスタジアム建設が進んでいる。

 3人兄妹だった。毎週金曜日は、市内に住む梢さんや弟の家族を鵜住居の自宅に呼び、同居するふみ子さんと夕食をともにするのが習慣になっていた。十数人で囲む食卓はうるさいほどだった。「7年前のあの日が金曜日でさえなければ」。少なくとも、梢さんとめいたちが津波に巻き込まれることはなかったのではないか。

 亡くなった4人は鵜住居地区防災センターに逃げ込み、約200人の避難者とともに波にのまれた。一方、当時それぞれ中2と小6だった沼崎さんの息子2人は高台に走って助かり、後に「釜石の奇跡」といわれた。

 梢さんからは勤務先の遠野市で、避難直後に連絡を受けていた。「なぜ高台へ逃げろと言わなかったのか」。後悔と、1人残された義弟への申し訳なさが浮かんだ。

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