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【戦後70年~大空襲・証言(9)】「炎と熱気でままならない呼吸。叫ぼうとしても喉が…」山田浩子さん(83)=東京都練馬区在住

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【戦後70年~大空襲・証言(9)】
「炎と熱気でままならない呼吸。叫ぼうとしても喉が…」山田浩子さん(83)=東京都練馬区在住

昭和20年4月13日深夜の城北大空襲の体験を語る山田浩子さん=2月7日、東京都練馬区(石井那納子撮影)

 戦争に関する記憶といえば、空襲と恐ろしさと、戦後の食糧難よね。

 東京の下町を焼き尽くした昭和20年3月10日の大空襲の後も、B29は容赦なく焼夷(しょうい)弾を落とし続けました。当時、私は13歳。通っていた桜蔭高等女学校(現在の桜蔭学園中学校)では竹やりの訓練もしていましたけれど、焼夷弾との圧倒的な力の差を見せつけられ、米国の科学にはかなわないと思っていました。

 さらに私を不安にさせたのが、空襲が山の手地域にも広がってきていることでした。そして4月13日深夜、城北大空襲で小石川区(現文京区)にあった自宅を失ったのです。

 あの頃は夜寝るときでも、いつ空襲警報が出ても逃げられるようにもんぺ姿で布団に入っていました。本来、寝間着とは違って窮屈で寝にくいものなのですが、習慣化するうちに、空襲警報にも気づかないほど深く眠れるようになっていました。

 「いいかげんに起きなさい」。母の切羽詰まった声にようやく目を覚ましたときには、すでに3軒先まで火が迫っていました。

 外に出ようとすると、ものすごい熱風が吹き付けてきます。煙で視界も悪く、炎と熱気が充満していて呼吸もままならないほどです。叫ぼうとして息を吸い込むと、喉の奥がぴりぴりと痛むのです。気道熱傷っていいましたっけ。

 自宅周辺の丸山新町、西方町には焼夷弾は落ちなかったようですが、旋風にあおられた火の粉が家屋や庭木に燃え移り、みるみるうちに火の海になりました。

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